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| 東アジアにおける環境問題と環境政策の拡大 ―中国進出企業の環境マネジメント ― |
| 文教大学国際学部 小坂勝昭 |
| Environmental Problemes & Policies in East Asia ―Research Reports on China Companies and Environmental Protection ― Bunkyo University Katsuaki Kosaka Introduction 1. Environmental problems and Environmental Policies in China (1) Coming of My Car Boom (2) Environmental Pollutions in China (3) Complex of Social and Environmental Structures 2. Mutual Cooperations for Environmental Protection between China and Japan (1) Successful Results of Environmental Cooperations between Kitakyusyu and Dalian (2) Association for Foods Safety and Processing はじめに 本稿は平成15−16年度におこなわれた文部科学省「科学研究費助成」による『中国進出企業の環境マネジメントと環境技術移転の調査研究』(平成15−16年度、研究代表者 小坂勝昭、 研究協力者 山田修嗣、石塚浩、茅野広行)の中間報告である。第一回目のプレ調査は、2003年8月17日―24日の日程で北京の「社会科学院」、天津の「経済技術開発区」へ(調査者は小坂、田辺)、第二回目調査は10月8日−13日の日程で大連市の「環境保護局」、および日系企業「マブチモーター」を訪問し調査を行った。調査参加者は小坂、石塚、田辺の三名。二度の調査に同行され通訳も含め、中国事情についてご教授くださった田辺義明文教大学国際学部非常勤講師には一方ならぬお世話になった。また田辺先生の友人で、大連英博科技発展有限公司の副社長、兼海外投資経営コンサルタントとして著名な薄田雅人氏には企業の御紹介をいただき、さらに多くの事柄を御教授いただいた。お二人が提供される情報や知識がなければ研究は進まなかったに違いない。 さらに、第三回目として本年の3月9日−12日、上海の服飾関係企業の「上海美旭服装有限公司」、「上海桜島服装設計有限公司」、および日本通運関連の日系企業「e−Technology Co.」、「上海通運国際物流有限公司」、および「上海市環境保護産業協会」、「上海今是浄化技術有限公司」を訪問した。調査参加者は小坂、石塚、山田の三名に石井雅章文教大学非常勤講師が参加した。国際都市上海が中国全体の中でも最も環境問題への取り組みが進んでいる都市であり、特に「環境ビジネス」の展開の速度には驚くものがある。国際都市上海ではカネ、モノ、ヒトはすべて経済発展に有益な循環財であり、こうした財の生産、交換、分配が次第に莫大な量に成長しつつあることを認めざるを得なかった。環境分野が将来もっとも有望なビジネス分野と成り得ると確信し始めた学者、官僚、財界人の環境ビジネスへの参入は上海ではもはや当然の構図となりつつある。 また、第四の調査は、平成15年11月16日―19日、静岡県の「中国環境経済調査団」の研究調査に参加し、この調査団の一員として杭州市の西湖、および浙江省の浙江大学、浙西大峡谷、臨安市、石門鎮まで訪れ種々の現場を視察する幸運に恵まれた。本調査団は、静岡市と杭州市が姉妹関係にあるため「公的性格」をもち、そのため、科研費調査では遂行不可能な現場の視察を体験できたのである。次第に社会調査が困難な時代になりつつあるという認識をもちながら中国に調査に入ったが、当然に企業のガードは固く、まして体制の異なる中国での調査は決して容易ではなかった。 この度の静岡県の環境調査団は、特定非営利活動法人「NPO日中環境経済中心」の主要メンバーの方々が企画されたものであり、静岡県の廃棄物処理や下水処理の仕事に従事してこられた大井川環境管理センター所長の八木敏郎(代表理事)、平井一之(静岡県環境資源協会事務局長兼常葉学園短期大学客員助教授)、中国事情通と自他ともに認められる細美和彦氏(理事)、環境ISO取得の専門家である加藤多次郎氏(理事)、さらに、自然環境復元協会の副会長で『ビオトープ環境の創造』(平成12年)の著者である秋山恵二朗氏、その他中国調査団団長の天野一氏(静岡県議)や、この調査団に参加された多くの方々に厚く御礼申し上げたい。これらの大変優秀な人材との出会いがなければこの論文は事実認識に欠けた論文で終ったであろう。 1.中国における環境問題と環境対策 東アジア地域、特に中国で進行しつつある環境悪化の急速な進行は、中国の環境保護政策と環境ビジネスを急速に促進しつつある。東アジアの中では日本の環境政策、および環境ビジネスが先陣を切っている。住民が主体となっての環境運動や新たな「環境NPO」の設立などの大きなうねりが日本全土に拡大しつつある。私たち研究グループは、日本の環境問題の現状について調査研究を実施すると同時に、東アジア地域全体に視野を拡げアジアの環境悪化および環境対策の現状を正しく認識するため中国の調査を開始した。 東アジア地域の環境問題が世界的な関心を集め始めたのはここ7−8年のことである。科学研究費助成を受けて行なってきた『中国進出企業の環境マネジメントおよび環境技術移転の調査研究』に関する調査の過程で、中国がもはや発展途上国という呼び方が相応しくないと思うようになった。中国はもはや巨大な産業国家に成長しつつあるという認識である。1−1.マイカーブームの到来 中国は昨年度、自動車生産台数で世界第四位につけ、SARS騒動期間の数ヶ月間の間に北京市の乗用車が70万台も増加した。伝染性のSARSから自分の家族を守るためにはバスや地下鉄などの公共交通機関より自動車が安全という「車の効用」に気付いたためである。更にWTO加盟に伴う自動車価格の低下が拍車をかけマイカーブームの到来を促進したといえるだろう。(1)しかし、マイカーを所有するためには入札制度で登録番号を年収以上の32万円も支払わねばならないというシヴィアな状況の中でも入札希望者が殺到する状況である。今後、駐車場不足が問題となるのは目に見えている。 先進国並みの生活レベルを望む中国の中上流階級のこうした行動パターンにこそ今後の中国社会の姿を見ることが出来よう。たとえば、今年の「春節」(旧正月)の一週間、家族そろってのドライブ旅行で観光に出かける人々が急増したことがわが国のテレビニュースとして流された。いち早く中国への進出を決めたホンダ自動車だが、「広州ホンダ」製造のアコードが二年先の予約までいっぱいといった驚くべき情報を入手し、中国経済の発展と所得水準の向上がこうした消費行動を支えていることを認識することになった。こうした経済成長を目にすると中国脅威論がますます現実味を帯びてくる。 中国に入って、北京の街を走るワインレッドのタクシーのほとんどがフォルクスワーゲン製の乗用車サンタナ(桑塔納)、仏製シトロエンであることに気づく。決して日本車ではない。天津に移動して初めてダイハツ製の小型車シャレードのタクシーに出会った。トヨタは中国進出に慎重であったため、中国進出しようと意思決定したトヨタは最初中国政府から拒否されたという事実があり、傘下のダイハツの天津工場でトヨタ車の生産を始めた。天津豊田の1500ccの中型車VIOS(威馳)の人気はうなぎ上りである。中国政府はトヨタの実力を正当に評価しており、ハイブリッド車プリウスへの関心は高い。現在、世界の主要な自動車メーカーのほとんどが中国で生産活動を開始しており、中国政府は近い将来に純粋国産車の生産を始めることを既に公表しているのである。政府の自動車産業に対する期待はかっての日本とかわらない。しかし、まるで環境対策に要する時間が失われた発展途上国となりつつあるのだ。 こうした動きをみると環境悪化は今後ますます拡大し、深刻化するだろうという予感は次第に確信に近くなった。北京、上海、重慶、大連などの4大都市部を中心に増加し続ける自動車台数は年平均約15%という驚異的数字であり、今後の大気汚染を回避することが困難になりつつあると断言できる。 1−2.中国の環境悪化の状況 中国は大気汚染のほかにも工業発展に必要な地下水の汲み上げによる地盤沈下や、慢性的水不足に悩み続ける国家である。特に地理的に長期間水不足に悩む山間部があると同時に(2)、水質汚染地域の拡大によりますます水不足が深刻になりつつある。さらに表土流出による土壌の荒廃の進行は中国の砂漠化を惹き起こし、北京のすぐ近くまで砂漠化が迫っていると言われる。中国の「水ビジネス(ワハハ)」が巨大産業へと発展し続ける根底には中国の水不足、水飢饉という事情があったのである。 溝口次夫(仏教大学社会学部)は論文「中国の環境問題を考える」(3)で重慶医科大学との共同研究の貴重な成果を紹介している。共同研究のテーマは中国南西部の巨大工業都市「重慶」の大気汚染と健康被害の関係に関するものである。この論文で引用された1996年の「中国主要90都市の二酸化窒素濃度」(mg/m3)をみると中国全体で2100万トンと世界最大の排出量である。特に貴陽、重慶がそれぞれ0.418,0.321という数字で90都市の上位1位、2位と多いことを示しており、北京0.099、上海0.054と比較すればこの二つの都市が大気汚染に占める二酸化窒素の量が異常に多いことが明らかである。貴陽が高度1071メートルの山間の盆地に位置するという地理的条件を加味したとしても環境汚染の進んだ地域であった。しかし、平均すれば北部地域44都市が濃度は高く、第三級環境基準を超える都市は北部では太原、洛陽、瀋陽、青島、鞍山、など14都市、南部地域では、貴陽、重慶、のほか宜賓、南充、長沙など7都市であった。(4)中国の大気汚染モニタリングは、1980年代の半ばに全国の主要都市に測定装置が一都市に三地点ずつ置かれ、一ヶ月間に12日間以上のモニタリングが義務づけられた。(5) また水汚染に関しては、『ナショナル・ジェオグラフィック』2004年3月号の記事「中国の痛みー広がる環境破壊」のなかに以下のような記述があり、水汚染と水不足が深刻な事態を招いていることがわかる。 「より重大な脅威は、安全な水が不足していること。主要都市の3分の2が深刻な水不 足に陥り、中国全土で7億人が人間や動物の排泄物で汚染された水を飲んでいる。都市で排泄される年間180億トンの下水の大半は、未処理のまま川や湖に垂れ流される。処理されるのは、10%程度にすぎない。農家でも以前は、人の排泄物を肥料として畑にまいているだけだったが、今では窒素やリンなど化学肥料も使用している。中国で肝臓や胃や食道のガンにかかる割合が高いのは水質汚染と関係があることが、最近の調査で分かってきた。」(6) 溝口論文もWHO資料から、中国の飲料水の4分の3以上は地下水が水源となっていること、しかもそのうち3分の2が浅井戸から取水されていると指摘している。北京、天津のような大都市においても2分の1以上が地下水であり、そのうち浅井戸が3分の1であるため地下水が汚染された場合の対策はきわめて重要であり、地下水への依存が大きいことは今後の地盤沈下の問題が深刻になる可能性を抱えていると予想する。 1−3.中国の社会問題と環境問題の重層的構造 また、中国の環境悪化による被害の度合いは中国の社会階層に実在する格差問題と深くつながっている。山間部を含む貧困地帯で生活する住民たちの生活は、都市部で生活する住民のそれとは大きく異なると言われている。都市と農村の生活格差の拡大が農村から都市への人口盲流を惹き起こし一時期問題視されたが、建設現場への出稼ぎは出来ても都市へ住所を移すことは法的に制限されている。そして、この出稼ぎの「賃金未払い問題」が社会問題に発展して大きな問題になっている。(7)そして、都市と農村の生活格差の拡大も国家的な社会問題になりつつある。都市戸籍をもつ都市に住む住民は教育、医療、就職、社会保障の面で優遇されているが、農業戸籍をもつ農村部の住民は都市に転居できない。都市では受けることの出来る福祉サービスも受けることはできない。また農民の子供はどこで生まれようとも農業戸籍しかとれない。(8)このような社会的差別構造が社会的不安を醸成し、国家的社会問題になりつつある。確かに大学に入学できれば都市戸籍の取得は可能であると聞いたが、根本的解決にはなってはいない。 北京滞在中に中国社会学会会長の陸学芸教授が「都市と農村の格差問題」をテーマにしたスタジオ番組(9チャンネル)「農民工問題的由来興解」(8月23日、PM1:00−2:00)に登場しほぼ一時間の講義をされた。そのあと番組参加者から質問が出され、教授はこれに丁寧に答え説明するという日本では普通の形式の視聴者参加番組であった。中国にもこの種の番組があったことに驚きを禁じえなかった。というのは、その前日に田辺義明文教大学非常勤講師の案内で中国社会科学院を尋ね、陸学芸教授の研究室で調査協力のお願いをし、また中国の環境問題について意見交換をおこなった翌日の出来事だったからである。また中国のテレビ放送のなかで非常に「社会学的な」内容の番組が制作され報じられたことに共産主義中国の変容ぶりを認識したからである。 農村生まれの好々爺で庶民的な陸学芸教授の風貌からは彼が全人代代表としての地位と権力を持つ人と感ずることはほとんどできなかった。彼のテレビでの講義の内容は、農村部の住民たちや、青年たちに対する真摯な姿勢と理解に満ちていた。そうした内容が彼自身の発想に基づくもので中国人民の不満をなくす方向性を指示する内容のものであることは間違いのないことである。農村出身の教授ならではの講義であったことは否定できない。彼の考え方が一時期物議をかもしたが失脚することなく全人代代表の地位にあることの理由の一端を知り得たように思った。陸学芸教授の提案が都市と農村の格差解消につながる日が近い将来訪れることを期待したい。 かつての共産主義中国の政治経済を支配したイデオロギー、即ち60−70年代のマルクス・レーニン主義や毛沢東思想は死に絶えたわけではない。中国社会科学院の研究員の半数以上は依然としてこうした思想の信奉者なのである。経済優先の「市場社会主義」(Market Socialism)の導入を指導したケ小平路線が今日の中国の産業化の発展をもたらしたことは間違いない。13億の国民の口に糊することは一大事業である。国民総生産の上昇をもたらす産業化こそがすべてであったに違いない。 2.日中環境協力の実現に向けてー「静岡―杭州モデル」への期待 昨年、北京、天津、大連、を訪ね、さらに既に述べたように静岡市の「NPO日中環境経済中心」(平成14年12月24日に特定非営利団体として承認された)を中心とした中国環境調査団に参加し、杭州市を訪問した。この街の観光資源として著名な「西湖」を巨大な「ビオトープ」に改造するという大規模工事を視察し、中国が環境保護に国家的規模で取り組み始めたことを改めて再認識した。 また翌日、浙江省の臨安市からさらに奥深く浙西大峡谷に入り峡谷を流れる河川汚染を見せられた。臨安市環境保護局、および『青年時報』(新聞社)の記者がわれわれ調査団に同行し、取材にあたっていた。 その峡谷の上流に位置する新橋郷という農村に汚染源となる現場があった。それは「蛍石加工工場」であったが、その村の唯一の産業であるため新聞で公害の垂れ流しと批判を受けたものの工場は全面閉鎖されずに部分操業を続けていた。 調査団に同行した静岡市の「静環検査センター」の技術者がこの渓谷を流れる水の水質検査をおこなうために水を日本に持ち帰り精密検査を実施した。帰国後の検査結果で渓谷を流れる緑白色の汚染物質はフッ化カルシュウムであることが判明した。毒性がないとしても、東南アジア諸国に観光資源として観光客を誘致するパンフレットがまかれていると聞いたがこの渓谷美を台無しにする緑白色の河川を見た観光客は二度と訪れることはないだろう。こうした工場に対する処分や処置はどのようになされるのか。調査団の仕事ではないことだけは明瞭であった。他国の公害問題に直面しても、それ以上に踏み込むことは困難という認識であったが、しかし新聞記者が同行し、取材したのは何故だったのか。 この調査の翌日、石門鎮の運河の水質浄化に関する解決策を話しあうための懇話会が漫画博物館を会場に開催された。北京から南下する運河は最南端のこの町が最終地点であった。運河の汚染された水を浄化して水道水として利用するための方策をめぐる懇話会である。明らかに日本側からの援助を期待するものと推察でき、今後この水質浄化の方法をめぐって討議が続けられるだろう。静岡の「日中環境経済中心NPO」の今後の活動を考えると、既に北九州市―大連間の環境協力という先行的実験モデルがあることを無視できないだろう。大連と北九州市が環境協力関係を締結して24,5年になる。静岡市と杭州市の姉妹関係が環境協力関係に発展する可能性は高いだろう。今後、環境社会学徒として学ぶべき事柄は多い。それだけではなく、隣国日本が先進国として背負うべき責任と義務は明確であり、科学技術先進国としての日本の役割が問われる筈である。自然環境に国境はない。偏西風に乗って中国発の大気汚染物質が黄砂とともに韓国、日本、アメリカ西部にまで達していることがごく最近ようやく検証され、日米の共同研究が始まったばかりである。名古屋空港から上空1万5千メートルの大気を収集し分析する作業がようやく始まっているのである。 従って、隣国の環境汚染問題は隣国の自主性と責任に委ねますというわけにはいかないところまで来ていると考えなければならない。見て見ぬふりを決め込むことのできない状況に追い詰められている。国際的視野に立ち「環境協力」を推進することこそ今後のわが国の重要な役割となるはずである。NPO環境経済中心の活動に参加して杭州市、および浙抗省石門鎮の環境状況調査に参加する機会を与えられ、わが国に課せられている方向性について再認識せざるをえなかった。中国側から期待された、運河の水質浄化はある意味で人道主義的な見地に立たねばならない課題に思われた。こうした深刻な環境浄化の要請を受け止め、どのような援助活動ができるのか、今後わが国の日本企業やNPOが採るべき方向性を実感できたと思っている。 筆者はこれまで科学研究費の助成を受け、東南アジア諸国における日本企業の技術移転問題の調査研究をおこなってきた。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポールなどで稼動を続ける日系企業数はそれぞれの国々で約1200社を超えるほどである。技術先進国と自他ともに認められている日本の多国籍企業が現地の労働者を雇用し生産するという形態は、当初は順風満帆と映る。現地の多くの労働者に雇用機会を提供し、しかも労働コストを数十分の一に切り詰め、生産物は日本やヨーロッパへ輸出し利潤を稼ぐ。しかしこのような生産形態は長くはつづかない。 マレーシアの国産車プロトンの工場は、当初三菱が技術供与する形で生産を開始した。元首相のマハティールの要請でマレーシアにも国産車をという呼びかけに乗った三菱が生産ラインをつくった。しかし、数年前に訪問した時すでにプロトンには工場長と会計担当者を除けば日本人はいなかった。 20年以上前に韓国に進出した日本企業も同様の運命であった。そして、今中国に進出して生産ラインを提供し、現地の労働者を使って自動車の生産を始めたホンダやトヨタも同じ運命を辿ることだろう。企業から派遣された優秀な技術者は「技術の流失」というあきらめにも近い感覚を抱きながら指導者として働いている。こうした技術移転問題の調査の延長線上に韓国、中国の環境調査を位置づけている。しかし、環境保護に関しては環境協力の必要性について反対することはできない。環境技術の移転は中国を軸に避けては通れぬ最も重要な課題になる筈である。 2−1.日中国際環境協力の成果―「北九州―大連」モデルの重要性 a. 環境都市「大連」の位置づけ 昨年10月8−13日の日程で、石塚浩、田辺義明、小坂勝昭の三名は大連を訪問した。薄田雅人の斡旋により「大連環境保護局」を訪問し北九州市との環境協力関係について聴き取り調査を行い、次に「マブチ・モーター」を尋ね、環境部門の担当者から「環境マネジメント」の実態について調査をおこなった。数年前、北九州市のKITA(北九州国際技術協力協会)に赴き、中国との技術協力の実態を調査しており、今回「大連環境保護局」で、今度は逆に北九州市との環境協力関係について調査することができたのである。 大連工商連合会の経済連絡所長の李国年氏の迎えを受けて環境保護局の玄関をくぐった。大連は世界の環境モデル都市500のなかに指定されており、貴陽、重慶とともに都市環境モデル地区プロジェクトの対象となっている。2001年、大連は市長の要請で世界の代表的なモデル都市となり、環境改善・保護のための大規模投資をおこなってきた。これをきっかけに世界各国からの直接投資が急増している。ここ数年、商工業の伸び率が高くGDPで1300億人民元(2500億ドル)に達しており、2000億を超えた時点で大連の環境保護に対する中国政府の投資額が急増し、特に経済発展の進んだ大連は他の都市の模範となるべく努力することが義務づけられることになった。 1979年5月1日、大連市は北九州市と友好都市関係を締結し、今日まで経済、貿易、文化、スポーツなどの各分野で交流を続けており、特に日中国交正常化が実現して以来、日中間の経済協力態勢が確立され今日の環境協力関係へと発展を遂げてきたという歴史がある。 現在、大連は中国におけるIT産業の中心として非常に重要な位置づけを獲得しつつある。1984年中国国務院に批准されて開発がスタートした「大連経済技術開発区」は大連市の北35キロに位置しており、2003年9月には大連駅から金石灘をつなぐ軽軌道でつながれ、開発区駅が最寄り駅となり、交通の便もよくなっている。2003年8月現在、人口は22万人、約464社の日本企業が登記されている。この経済開発区は日本企業の中国進出の拠点となっており、建設中の10箇所の工業団地は、電子情報産業、化学工業産業、電機製造産業からなり、開発区内外の企業に製品や、部品を供給している。また、中日両国政府と民間の協力による工業団地として中国初の「中日合弁大連工業団地」が誕生している。 この技術開発区は大連市の副都心として発展中であるが、ここには保税区、および輸出加工区が併設されている。保税区は自由貿易区として特別優遇税制政策が実施される総合的経済貿易区で約700社が進出している。ここは中国国内における免税区域、すなわち関税制度上は国外である。また、輸出加工区は保税区内にあり保税区同様、中国国内にある税関外区域であり、輸出加工型企業に都合の良い経営環境を提供している。大連輸出化工区は、中国東北部の沿海解放都市における唯一の国家級輸出加工区である。この加工区は基礎インフラが充実しており、海に近いという地理的メリットを有している。加工区で営業できる企業は、生産型企業とそれに付随する物流企業に限定されているが、全国の14の輸出加工区の一つとして期待が集まっている。 b.大連「食品安全協会」の設立 (9) 昨年9月16日、大連市内のホテルで「大連食品安全協会」設立総会が開催された。昨年、中国から輸入された「ほうれん草」から大量の農薬が検出されたことは記憶に新しい。中国側の言い分は自由貿易を標榜する日本が一方的に農産物の輸入を禁止するのは納得がいかないというのが中国側の主張であった。上述したように水汚染が深刻化している中国では出来るだけ有機農法によった、人体への農薬被害を最小限にとどめることが可能な無農薬野菜の生産が急務である。もちろん、汚染された河川、湖沼の漁業資源の汚染も同様である。大連は環境都市を標榜するほど環境改善にエネルギーを割くようになったが、こうした環境政策の採用は環境都市を宣言するためには必要不可欠の知恵であり、路線であろう。 従って、食品の衛生安全を目的とするHACCP(ハサップ)に本格的に取り組む「大連食品安全協会」の設立は非常に意味がある。この協会のメンバーには「大連三島食品有限公司」をはじめとする食品関係の日本企業や、大連市の中国企業、市政府関係機関、大連大学、大連市産品質量監督検査所、が参画しており「産官学」協力の上に構築される食の安全に対する取り組みといえる。このハサップのスローガン「大連はどこよりも食の安全。安心を目指す」という言葉からは、大連から日本への食材供給が増加しているということ、更に大連の食品加工基地としての重要性についての認識がハサップの設立に結びついたと言える。大連市内には海鮮料理レストランが多く、渤海湾で取れる魚類やえび、かにが水槽で泳ぐ姿に大連の食の水準の高さに驚く日本人が多いことは紛れもない事実である。 日本人にとって大連は遠くて近い場所である。旧満鉄時代の大連は大勢の日本人が生活していたわけで、その時代の名残をいたるところに発見することが出来る。満州鉄道の果たした歴史的役割の重さを感ずると同時に、「日本人が再び攻めてきた」という言葉の重さもまた真摯に受け止めねばならないだろう。現在、大連に在住する日本人は約2000人といわれる。国際線の充実とともにヒト、モノ、カネの流通がますます頻度を増してくるだろう。 19世紀後半、ヨーロッパ列強の侵略が始まり帝政ロシアは清朝政府との間で大連を租借する条約を結んだ。ロシア語で「遠い」を意味する「ダリニー」と命名されたが、日露戦争で勝利した日本による植民地時代が始まり1905年、「大連」と正式に名づけられた。ロシア統治下で計画されていた中山広場を中心に放射状に広がる都市計画を生かした街づくりをおこなった。日本統治下で建築された洋式建築は現在も使用されている。たとえば、旧横浜正金銀行大連支店(現在は中国銀行遼寧省分行)、旧大和ホテル(大連賓館)、満鉄社員の家族が住んでいた社宅、等々。現在、大連の経済特区で稼動を続ける日本企業の数は上海とともに急増しているという事実を事実として受け止めねばならないだろう。 c, 北九州市の国際環境協力の推進 北九州市は、1963年2月に5つの都市が対等合併を行うことで成立した。1979年に大連との友好都市関係を結び、1981年10月に日本北九州工業展覧会を開催した。平成3年7月、大連・北九州市交流事業の協議において大連市長の提案により平成5年10月に友好都市15年を記念する技術交流セミナーを開催した。 こうした経過のなかで、1989年に「水辺と緑とふれあいの国際テクノロジー都市へ」を基調テーマとした北九州ルネッサンス構想を策定した。現在、2005年の開港を目指した新北九州空港の建設や輸入促進地域の整備、北九州学術・研究都市の整備などのプロジェクトが進められている。(10) 北九州市は、1901年の官営八幡製鉄所の操業以来、重化学工業地帯として発展した。中国大陸の鉄鉱石や筑豊炭田の豊富な石炭を利用して、日本の四大工業地帯の一つとして日本経済の繁栄に貢献してきた。経済成長、産業発展の興隆の反面、洞海湾週地域の城山地域では1965年に年平均80トン/月km2という日本一の降下煤塵量を記録し、1969年には日本初のスモッグ警報が出された。また、城山地区では多数の喘息患者が発生した。 また、洞海湾は、工場からの未処理排水や生活廃水の流入により、死の海と化した。 しかし、市民、企業、研究機関および行政が一体となって公害対策に取り組んだ結果、北九州市の環境は大きく改善された。かつては七色の煙と言われ、日本一の降下煤塵を記録した空は、1987年には環境庁から「星空の街」に選定された。また、死の海・洞海湾は工場廃水の規制、下水道の整備、浚渫事業の成果により水質が大幅に改善された。 北九州市の公害克服は、全国的に特徴ある「北九州方式」とよばれたが、現在時点からすれば、(1)婦人運動、(2)行政の取り組み、(3)企業の取り組み、更に(4)関係者の協力(北九州方式)、が公害克服に大いに貢献したと言える。北九州方式とは市民、行政、企業がそれぞれ対立するのではなく、公害問題解決に向けて協力し役割分担を実施することにより成功したと考えられている。 発展途上国の国々では、かつて日本が経験したジレンマに陥っていることを認識し、北九州市は国際環境協力を推進することを継続し、協力の対象地域を拡大していることを知ることとなった。即ち、大連環境保護局での昨年の聴き取り調査の後、小坂、山田、石井の三名は北九州と大連の環境協力のその後の展開を知りたくて北九州市のKITAを訪問した。KITAの環境協力事業は、もはや大連を越え、北京、天津、重慶との環境協力関係へと拡大し発展を続けているという事実を知ることとなった。北九州市は大連に対する低公害技術援助を20年余り継続してきたのである。最近では、ODA援助により「大連市環境モデル地区計画」を推進中である。その内容は2010年までに北九州市と同じ環境レベルまで改善する対策の計画・実施を支援してきた。ブラウン管工場での水の使用量を10%減らすことに成功していると聴いた。しかし、目を離すとすぐに元に戻ってしまうと話された。その国の文化や、行動パタンを変更させることの困難さに逢着している場面を想定すると、環境協力に結び付く筈の具体的な援助活動、支援活動がそう簡単には身に付かないものであることにも愕然とされたのである。 『ナショナル・ジオグラフィック』3月号の三木いずみ・日本編集部の記事は、中国の環境改善に日本のODA援助が非常に大きな役割を果たしていることを強調している。(11) 『注』 (1)和島りえ(2003)「マイカーブームの裏で」『人民中国』10月号参照。 (2)深刻な山間部の水不足と井戸掘りの苦闘については『人民中国』(2004)2月号、11−13頁参照。 (3)溝口次夫(1998)「中国の環境問題を考える」『アジアの環境問題』(環境経済・政策学会編)、東洋経済新報社、191−212頁。 (4)同書、195頁。 (5)同書、197頁。 (6)J.ベッカー(解説)& B.サシャ(写真)(2004)「中国の痛みー広がる環境破壊」『NATIONAL GEOGRAPHIC』3号、86−113頁。 (7)深刻な賃金未払い問題『出稼ぎ労働者を守れ』(2004)『人民中国』2月号、8頁。 (8)「規制緩和に向かう戸籍制度」(2003)『人民中国』11月号。 (9)食品安全協会発足については、「HACCP対応の本格研究進める協会発足へ」(2003)『コンシェルジェ大連』9月号、6頁。 (10)北九州と大連の環境協力については、(1997)『北九州市の環境国際協力―人と地球と次の世代のためにー』 (11)三木いずみ・日本編集部(2004)「ODA中心に産官学で取り組む環境協力」『NATIONAL GEOGRAPHIC』3号、114−117頁。 『参考文献』 (1)大野健一・桜井宏二郎(1997)『東アジアの開発経済学』、有斐閣 (2)河野通博編(1991)『新訂東アジア』、大明堂 (3)小島朋之(2000)『中国の環境問題』慶応大学出版会 (4)小島正法(1997)『アジアで勝つ』伯楽舎 (5)清華大学・神鋼リサーチ(2002)『中国環境ビジネス』神鋼リサーチ株式会社 (6)関口操・武内成(1997)『始動するアジア企業の経営革新』税務経理協会 (7)文芸春秋社(1996)『大中国はどうなる』文芸春秋 |
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