中国の金石印材の保存、篆刻の研究を目的として成立した学術団体です。名前の由来は西側の西冷橋の名前から付けました。孤山の南側の麓にあり、傍には有名なレストラン、楼外楼があります。
中国の金石篆刻は、書道と彫刻が一体となった、中国独特の芸術文化です。中国では判子(印章)が使われ始めたのは2千年以上前の戦国時代です。しかし、彫るにせよ、鋳るにせよ、全て職人の仕事でした。文人が手を染めるようになったのは元、明以後で、次第に篆刻芸術の各流派が形成されていきました。
浙江省の金石篆刻芸術は18世紀、清の乾隆帝の時に全盛期を迎え、その時に「浙派」と呼ばれるようになりました。杭州の人-丁敬、蒋仁、黄易、爰岡、陳豫鐘、陳鴻寿、銭松、趙之琛などの「西泠八家」らは今の西冷印社の付近に土地を購入し、楼閣や亭などの建物を立ててその今の西冷印社の基礎を築きました。その後、会稽、今の紹興、の趙之謙、安吉の呉昌碩らが更に新境地を開きました。1904年に杭州に金石書画の研究団体が創設され、1913年に呉昌碩先生を社長とする「西泠印社」が正式に発足しました。
これは国内がもとより、日本からも有名な篆刻家河井仙郎、長尾甲らがはるか海の向こうから、入会を申しこみに来たほどの反響を呼びました。西冷印社の社員は広く内外の404名にもなりました。その内、今では、108名のメンバーが亡くなりましたが、296人の篆刻家が元気に活躍しています。毎年、春と秋の2回、清明節と重陽節に各自の作品や収蔵品を持ち寄って展示し、研究、観賞し、語り合います。
西泠印社の庭で、有名な建築物には竹閣、漢の三老石屋、華厳経塔があります。竹閣は唐の時代の大詩人-白楽天が建てたといわれ、西湖を遊ぶ時、決まって竹閣で休憩しました。三老石屋は後漢52年、石碑「三老諱字忌日碑」を収めています。これは、1952年に余姚市で出土されたもので、浙江省内にある石碑ではもっとも古く、内外の考古学者から珍宝と見なされています。西泠印社でいちばんの見所といえば、華厳経塔です。1924年に建てられた塔ですが、11段に分かれ、金剛経、華厳経、十八羅漢像などの彫刻が施されています。ちなみに塔の後には呉昌碩記念館があります。 |