| 一番心に残った中国公演 |
| 横浜グリークラブ T−1 浜上安司 |
| [ウェブサイト]横浜グリークラブ |
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| 私の海外公演体験は、東京オラトリオ研究会での1997年のザルツブルク大聖堂でのモーツアルト「レクイエム」に始まり、ザルツブルク大聖堂ではさらに3回。ドイツは、ベルリン・フィルハーモニーホールとケルン・フィルハーモニーホールでバッハ「マタイ受難曲」が2回。オスロ・フィルハーモニーとのベルリオーズ「レクイエム」(オスロ国立コンサートホール)。オランダ・マーストリヒトでは、ブラームスの「ドイツレクイム」。アイルランド・ダブリンでヴィヴァルディーの「グローリア」ほか。アジアではソウル国立アートセンターでヘンデル「メサイア」、ヴェルディー「レクイエム」等の4回の演奏会。と、この11年間で15回を記録しました。そのいずれもが各国を代表するオーケストラやコンサートホールでの演奏で、これらは東京オラトリオ研究会員であるT−1の田中俊郎氏と一緒でした。氏の海外体験は私より早くて、旧東ドイツやアメリカにまで及びます。こうした海外公演は、私の音楽に対する考え方に大きな影響を与えました。音楽芸術の極みを追求しようとする演奏家集団に囲まれてその厳しさも思い知らされました。 しかし、オーケストラを伴う大コンサートホールでの演奏会でもなかったのに、今回の中国公演は、これまでに体験したことのない、異質の「心地よさ」を感じさせてくれました。この「心地よさ」こそ私が忘れかけていた音楽のもう一つの側面であることを実感させた旅でした。 これまでの海外公演は、到着後直ちに始まる合唱練習が本番前日のオケ合わせ寸前まで続くハードなもので、本番前のオプショナル・ツアーなど想像もつきません。「演奏がすべてに優先」が基本でした。 一例を紹介します。2002年12月、韓国国立合唱団は第100回定期演奏会開催に際し日本から東京オラトリオ研究会、中国から青島オペラ合唱団を招聘しました。韓日中3国の合同合唱団200名でヘンデル「メサイア」をモーツァルト編曲の大オーケストラで演奏する企画でした。韓国が用意した宿はソウル大学迎賓館。日中両合唱団は宿泊費・食費無料でここに滞在します。到着はみぞれ混じりの寒い日でした。到着直後、韓国国立合唱団マネージャーが日本側団長の私に注文をつけにきました。 本番前に予定した「屋外テーマパーク韓国民俗村への見学旅行はやめてくれ」「ソウル滞在中のスケジュールはすべて韓国側で決める」「本番終了まで全員の自由行動は許されない」「食事・ショッピングも韓国で用意する2台のバスを利用して貰う」「毎日午後の数時間を迎賓館で休養して本番に備えてもらう」でした。そこまでやらなくてもと思いましたが主催者の言い分は理解できます。50名を越す合唱団員が寒空の屋外テーマパークで集団で風邪をひかれたり、交通事故に遭遇したりしてはならず、すべてを演奏中心に考えて行動して欲しいのは、主催者の当然の期待だからです。 すべての国でこのような締め付けがあったわけではなく、ケルン・フィルハーモニーホールでは本番中休み時間に休憩室でアルコールを販売しており合唱団員たちはビールやワインで喉を潤していました。 私が経験したこれまでの海外公演は「音楽至上主義」が基本でしたが、「人々との交流を音楽とおして育み築き上げていく」とする今回の中国公演の考え方は、従来のものとは概念が異なります。この相違が音楽至上主義では体験できないものを与えてくれたのかも知れません。 今回の訪問先がオリンピックを控え世界の耳目を集めながら、国情は限られた情報に限定され、出発寸前の餃子騒ぎもあって、初めての中国訪問に不安を隠し切れない人が多かったと思います。私の家内も友人たちに「食べ物には注意してね」「お土産なんか要らないから」「身体だけ元気で帰って来られればそれで十分」と声掛けられ、まるで出征兵士みたいねと笑いながら、多くのレトルト食品を買い込み、電気で煮炊きする鍋釜の道具一式を詰め込んだ重いトランクを担いで成田に馳せ参じた次第ですが、何となんと着いてみれば、朝から餃子とお粥のお替り、昼夜も毎度の中華料理フルコース・オンパレード。どこに行っても「おいしい、おいしい」と笑顔の連発。あの出発前の心配はどこかへ吹っ飛んでしまい、持参した山のようなレトルト食品の数々は通訳さんに頼み込んで貰っていただく始末とあいなりました。帰ってからその話をすると「本当?」と本気にして聞いてもらえないのにもいささか困りましたが。 さて、「心和んだ音楽の旅」の話に移りましょう。杭州空港到着日の2月29日、A班23名はバスで空港から杭州市の老人ホームに直行しました。そこの玄関大広間には多くの老人達が私たちの合唱を楽しみに待っていました。数時間前から待っていたと言います。ここで歌うとは思っていなかったので一瞬驚きましたが、期待に応えて歌うことになったものの、T−1は安斉、山下、田中、浜上の4名のみ。心配です。日本の歌を数曲歌って、拍手だけは貰いますが本当に喜んでもらえているのか怪しいものでした。途中でこの老人ホームで練習している地元の我々と同年輩と思われるカルテットが二組登場しました。男だけの4人組と女だけの4人組です。中国の歌を歌いはじめました。この日の発表を楽しみにしていたみたいで嬉しそうでした。この人たちが歌い終えたときに、横浜グリーの一人が誘うように「大海わが故郷」を中国語で歌いはじめました。老人達の顔が変わりました。横浜グリーの合唱が後に続きました。ホーム玄関広間が大合唱に包み込まれました。カルテットの男女4人組も最高の笑顔で唱和しあいました。終わって日中双方の合唱団員が肩組み、抱き合って喜びあいました。まさか中国語で歌ってくれるとは夢にも思わなかったのでしょう。中国の老人たちは顔をくしゃくしゃにしています。この喜びようは私たちにとって思いがけないものでした。中国語ができたならば、もっと話が聞けたり喜びが伝えられたのにと心底思いました。先方もそうだったと思います。「大海わが故郷」の発音も今富さんのご指導のお陰で中国の人たちに十分分かって頂けたようでした。しかも暗譜で歌えたことも大きな自信になった初日の出来ごとでした。この「大海わが故郷」物語は翌日にも中国の人々との交流に大きな役割を果たすことになります。 翌3月1日は朝から桂林の河下りの日でした。水墨画の世界を思わせる両岸の景色にも見飽きて船室に戻り昼食となりました。船室の後半部分に中国の青年男女たちが陣取り、前半分に横浜グリーが座を占めていました。アルコールも入って宴たけなわとなり両陣営から歌合戦が始まりました。中国の歌に合わせて西村会長が踊り始め、これがきっかけで中国の男女青年たちも踊り始めました。ですがこちらは先方の歌う中国語の歌はちんぷんかんぷん。先方にとっても我々の歌う日本の歌はちんぷんかんぷんだった筈。歌のリズムに合わせての踊りや手拍子だけの騒ぎの中に、横浜グリーの「大海わが故郷」が始まると、一瞬きょとんとした青年たちの顔が突如、笑顔に変わり、一斉に唱和し始めました。大合唱の始まりでした。船内のコックさん、物売りの少女たち、支配人までも歌いはじめ、船内はまるで国際合唱祭そのものでした。青年たちが喜んだこと。日本の年寄りたちと握手し、肩組んで、感動を分かち合いました。まるで映画の一駒のような、日中友好のお手本のような、忘れられないシーンでした。 3月4日(火)は、8時半からの西湖畔での「江南春の歌会」。ここでも日中両国入り乱れての踊りの輪が花開きました。踊りの好きな国です。西村会長が、松崎先生が、ピアニストの博子さんが、そして多くの団員が踊りの輪に加わりました。中国の皆さんの嬉しさが迸るような笑顔がとても印象的でした。交流の大成功をうかがわせる素晴らしい歌会だったと思います。 続いて、この日の夜は、最大のイベントである星海合唱団との待ちわびた「合同演奏会」です。暖房のきかない音楽ホールがこの国の音楽状況の一部を垣間見せているようでした。でも、この日に備えて練習を積み重ねてきた星海合唱団の演奏は素晴らしかった。特に女声陣の声の美しさに魅了されました。 プログラムは進み横浜グリーが歌う「中国の歌」の番となりました。先ずは、「大海わが故郷」です。 今富さんの指揮につられて歌いだして1小節も進まないうちに会場から割れんばかりの大拍手が沸き起こりました。こんなにも嬉しいのか。中国の人々のこの歌と我々に対する思いが察せられ、歌っていて目が潤みました。会場の聴衆が大きな声で唱和してくれたのも忘れがたい思い出です。「長江の歌」もよく聞いて貰えました。2曲ともいい選曲でした。感動を誘い込む編曲もいい編曲だったと思います。 終了後のパ−ティーで日本語の上手な合唱団の女性に出会いました。聞けば日本語を勉強しているとのこと。私の日本語の先生を紹介しますと連れてきたのが杭州で日本語教師をされている廣本恵三先生でした。「嬉しいです。とてもいい演奏会でした。このような機会をまた実現してください。お手伝いします」と話してくださいました。多くの合唱団の女性たちの喜びようも忘れられません。お互いに相手方の言葉を勉強して次回は何とか意志を通じあえたいと思ったことでしょう。 3月6日(木)の蘇州日本人学校スクールコンサートの校歌ではご迷惑をかけ申し訳なく思います。 出発前夜の2月28日午後8時頃に杭州、蘇州、桂林の天気予報を知りたくてインターネットを使っていると偶然にも蘇州日本人学校のホームページに入ってしまいました。校歌の歌詞が載っていました。 クリックしたら校歌を歌う子供たちの姿が動画で出てきました。合唱を聞いていて、気になっていた、3頁目の2番歌詞の音符への配置ミスを発見して慌てました。明朝5時に家を出なければならないのに今から楽譜を訂正してプリントし、全員分の楽譜をコピーすることは不可能です。そこで、間違い箇所を訂正した3頁だけ全員分を印刷して持参し、現地で3頁だけを張り替えて貰おうと考えました。この準備が終わったのが夜中の2時でした。皆様のご協力により恥をかかずにすみました。編曲の際に一瞬気になったにもかかわらず、学校に問い合わせしなかったことが皆さんに迷惑をかける原因となった、と深く反省することでした。それにしても出発前にこれほど練習した校歌もなかったと思います。松崎先生の心の中に異国で学ぶ子供たちの姿が思い浮かばれたのかも知れません。何回も何回も歌い、練習させてくださってたお陰で、1回の練習で訂正箇所も無事に歌いこなせ、最後の掛け声「おう!」まで、どこで歌われた校歌よりも、熱と心のこもった演奏になっていたと思います。有難うございました。 演奏会も全体を通して子供たちの反応が速く素直で、それがびんびんとこちらに伝わり、これまた、どこのスクールコンサートよりも充実した内容になっていたと思いました。 中国という特殊性があったせいかも知れませんが、今回は音楽を通じてお互いを理解するきっかけを作ってくれた画期的なものでした。その意味では大きな成果を挙げ得たと思います。今回の海外公演をとおして感じるのは、「音楽至上主義」か「交流至上主義」かの問題ではなく、国境を越えて、歴史を超えて、万人に愛される心のこもった演奏を作り上げることこそが一番大事なことだと言うことでした。 |
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